進学か、ドラフトか、いずれにせよプロで活躍できる逸材、佐々木麟太郎選手の名言を集めてみました。
佐々木麟太郎とは?
花巻東高校の監督佐々木洋さんの息子さんで、2005年4月18日生まれ。
北上立江釣子中学校から、父の意向に逆らって?花巻東高校入り。
高校通算140本以上のホームランを放ち、これは清宮選手を大きく上回ります。ただ、本数は練習試合数なども影響するので一概にこれだけで優劣がつくというものでもないでしょう。
身長184cmで体重113キロ。
佐々木麟太郎の名言は?
貢献こそ活躍
「チームの勝利のために命を懸ける」とする麟太郎選手のスローガンの1つ。
夏の甲子園準々決勝で涙 花巻東・佐々木麟太郎 全打席で「フライアウト0」の意味するものとは | TBS NEWS DIG (1ページ)
『自分まで回す』『最後の攻撃だ』って、みんなが言ってくれていた。...打席に入る前は『みんなにありがとう』と思っていました
夏の甲子園。順調に勝ち進むも、思わぬ大差で敗戦濃厚に。
このまま敗戦かと思われた試合の9回、花巻東は大反撃。
麟太郎選手まで打席をまわしてくれたことについて感謝の発言。
【甲子園】花巻東・佐々木麟太郎、9回奇跡に涙「『みんなにありがとう』って」最終打者で終戦 - 高校野球夏の甲子園 : 日刊スポーツ (nikkansports.com)
新たな道を切り拓けるように。新たなことを起こせるように頑張っていきたいと思っています
明治神宮野球大会での発言。
幕末の偉人である勝海舟の幼名「麟太郎」の名をいただくだけに、同じような気概を感じさせます。
父は監督「他校の野球部を勧めていた」…それでも“岩手の怪物”佐々木麟太郎が《花巻東進学》を強く希望したワケ - 高校野球 - Number Web - ナンバー (bunshun.jp)
野球だけではなく人として成長できる環境だと思って、他の学校は考えられませんでした。
佐々木監督は、他行の野球部やラグビーを進めていました。やはり自分の息子が選手になるとやりにくい面は多々あったのでしょう。
それでも雄星や大谷選手を見て育った環境から、他校という選択肢は浮かんでこなかったのでしょう。
父は監督「他校の野球部を勧めていた」…それでも“岩手の怪物”佐々木麟太郎が《花巻東進学》を強く希望したワケ - 高校野球 - Number Web - ナンバー (bunshun.jp)